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科学と芸術、そして人間。 [ 光 速 度 ]

ことばの解析学:原理,定理,公理,法則,原則 

【原理】
?ものの拠って立つ根本法則。認識または行為の根本法則。
?他のものがそれに依存する本源的なもの。世界の根源,ある領域の事物の根本要素。

【定理】
すでに真なりと証明された一般的命題。公理または定義を基礎として真であると証明された理論的命題。

【公理】
?おおやけの道理。一般に通ずる道理。
?(ア)証明不可能であるとともに、また証明を必要とせず直接に自明の真として承認され他の命題の前提となる根本命題。
(イ)ある理論領域で仮定される基本前提。

【法則】
?必ず守らなければならない規範、おきて。
?いつでも、またどこででも、一定の条件のもとに成立するところの普遍的・必然的関係。また、それを言い表したもの。

【原則】
?他の諸命題が導き出される基本の命題。
?人間の活動の根本的な規則。基本的なきまり。原理とほぼ同義に用いられるが、原理はむしろ存在の根拠を意味する。

(以上『広辞苑』より)

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「掟の門」
カフカ
[ 2008/08/19 00:32 ] TB(0) | CM(0)

日常の某氏 

 弁当などで間仕切りのために入っている緑色のギザギザしたもの。これは「バラン」というものらしい。
 もともとはユリ科の一種である葉蘭という植物の葉を、細工切りにして使ったという。
 日常的によく目にしているのに、名前を知らないものはこのバランのように身の回りに溢れているのだろうと思い、探してみた。けれど、専門的な器具や部品、固有名詞などを除けば、身の回りのありとあらゆる日常の品々に、ひとつひとつよく知っている名前が付いていることに気がついた。
 床屋の店先でクルクル回っているのは「有平(あるへい)棒」と言う奇妙な名で呼ばれていることや、洋食屋などでカレーのルーが出てくる時に入っている容器が「ソースボート」、電線と電柱の間で絶縁の役割を果たしている白い物体は「碍子(ガイシ)」という名前である事などは分かったが。けれどもまだ名前の付いていない「某氏」を探すのは結構大変だ。 日常生活とは、あらゆる「名前を知っているものごと」に囲まれて過ごす事なのだと、あらためて思い至った。

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「5ランゲージ」

「フーコー入門」

[ 2008/08/15 21:33 ] TB(0) | CM(0)

知への船出 

 ネット上に流布された膨大な情報に今や万人がアクセス可能だ。他人がネットで5分もあれば調べられる事を知っていたとしても、もはやどうしようもない。比較的簡単な事柄であれば、何かを調べたりその結果をレポートに仕立てることは、その場に居ながらにしてできてしまう。
 重要なのは、ネット上に流布されていない、あまり人に知られていない情報にどうアクセスするか。現場に実際に行ってその目で何を見、肌で何を感じるか。そして、そうやって仕入れた膨大な情報の中から、新たな知をどう組み立てるか。
 そういった意味での知の巨人を2人、ここで心にとどめておきたい。
 1人目はダーウィン。世界の果てガラパゴスまで調査船ビーグル号に乗り込み出かけて行き、生物の多様な世界を進化論としてまとめあげた。
 2人目は空海。船で唐に渡る時は一介の留学僧に過ぎなかったが、いつの間にか当時の密教の知識全てを授けられ、その後の日本仏教の基礎を築いた。
 2人に共通していたのは、「えいやっ」と船に乗り込むその大いなる覚悟を持っていたことだろう。
 この2人がたとえネット全盛の今の時代に生きていたとしても、やっぱり勝手に現場に出かけて行き、壮大な知の集積と新たな知の構築に黙々と取り組むに違いない。

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MIT Open College

調べ学習とネット

「空海の風景」
司馬遼太郎
[ 2008/08/14 20:24 ] TB(0) | CM(0)

サミットがやめられない 

 「サミットは、もうやめたらいいのではないかと思う。」
 この書き出しではじまるエッセイで塩野七生は、国連安保理とは別の「経済強国連合」として始まったサミットは、既に開催意義や、さらには開催に「懸命に反対する」意義すら失ってしまっていると説く。
 誰ももう必要を感じていないのに、一旦始めてしまったものをやめようと誰も言い出せずズルズルと続けてしまう状況は、サミットに限らず実はよくある話だ。
 最近のサミットでは、年を追うごとに参加国数が増えている。もちろん旧くからの参加国は、これを議論がまとまらない口実にできるし、新たな参加国はとりあえず大舞台で主張する場を与えられる。双方ともにこれで満足、ということだろうか。
 何を始めるにせよ、どうなったらやめるか、撤退するか、そのポイントを予め決めておく「Exit Strategy」が必要だ。

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文藝春秋 2008年 09月号 [雑誌]文藝春秋 2008年 09月号
「サミット・雑感」
塩野七生



G8 北海道洞爺湖サミット 公式サイト
「画像の容量を抑えることで、消費電力の低減を目指した環境配慮型サイト」らしい…
[ 2008/08/13 22:23 ] TB(0) | CM(0)

iPod文化とレコード文化 ー2つのベクトルの狭間ー 

 数10Gの容量を持ったiPodには、無意識に似た深遠さがある。
 これまで自分の耳が触れたことのあるすべての音楽を持ち歩くことができ、かつ、その中からほとんどランダムに曲が選び出されて再生される。夜眠りながら見る夢のように、自分の奥底に眠っていたささやかな記憶の一断片が、次々と繋がっていく。こんな凄まじい瞬間の連続は、これまで(少なくとも目が覚めている間は)体験したことがない。
 けれども、このような形式で音楽を聴く方法は、人類が約100年来続けてきた「レコード」というパッケージ単位で音楽を聴く方法の、1つの「崩壊」でもある。
 音楽雑誌「snoozer」が2004年当時、増刊号として発行した「The Essential Disc Guide 2004 ーあなたのライフを変えるかもしれない300枚のレコードー」の中で、編集長の田中宗一郎は、急速にネット上にアーカイブ化されていく音楽という文化についてはっきりと危機感を表明し、「1枚のレコード」という単位が持つ大きな力に敬意を払いつつも、「1枚のディスクに刻み込まれた歴史の重みを感じること。それぞれの音楽をそうした呪縛から解き放ってやることーーその相反する、ふたつのベクトルのそれぞれをアンプリファイすること」に、音楽という文化を豊潤なものとする希望を見いだしてもいる。
 それからまる4年が経ち、確かに我々を取り巻く音楽の環境は本当に大きく変わった。我々は確かに、2つのベクトルの片一方に大きく踏み出した。けれども私はやはり、今しばらくは、「レコード1枚」という単位が持つベクトルの大きさにも、注意を払い続けたいと思う。

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サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえサブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ
中公新書
下條 信輔



NHKドキュメント
「考える」(2007年12月25日放送)
作家の石田衣良が、広辞苑をランダムに引いて出てきた3つの言葉「鵞鳥」「草書」「光学」を使って、(48時間以内に)童話を作る
[ 2008/08/12 22:41 ] TB(0) | CM(0)
プロフィール

studio:lamplight


■このブログについて:
  「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

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◆管理者プロフィール:
  1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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