アクセス解析
レンタル掲示板
科学と芸術、そして人間。 [ 光 速 度 ]

Ads by Google 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] トラックバック(-) | コメント(-)

インプットの振れ幅 

 日々のインプットでは、或る特定の範囲内だけでなく、最大限の振り幅で多様なものごとに驚きを以て接すること。
 そうしたインプットと記憶どうしが複雑に関係性を持ちはじめると、多様な、自分でも予想だにしないアウトプットがそこから生まれ出て来る。
[ 2009/05/31 14:20 ] TB(0) | CM(0)

そのきさらぎの望月の頃 

 願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ
                          西行(新古今和歌集)

 西行は、この歌のとおり、2月の満月の日(旧暦2月16日)に没したという。
 満開の桜の下、満月の頃――。この歌に込められている西行の思いとは、一年のうち最も美しくきらびやかな情景を自分の死の舞台としたい、というものではないのではないか。

 夜の桜は、昼の桜の美しさとは絶対的に異なる、或る種の「ものすごさ」を持っている。夜桜の美は、明らかに「死」の気配を伴っている。電灯など無い時代、この夜桜の妖しさが最も極まるのが、満月の夜だったのだろう。
 「如月の望月の頃の花の下」とはつまり最も死に近い、最もナチュラルに死を迎えられる、そういう空間だったのではないか。

 桜、満月、季節の移り変わり…。自然に抱かれながら、大地の、天体のリズムに身をゆだね、そのリズムとシンクロしながら涅槃に至ること。自然がもつリズム、美しさ、妖しさ、これらが極まるその結節点に、自らの生と死の境界面を「願わくば」同期させたい。西行のそんな切実な思いが、この歌にはこめられているように思う。
 
 筆者はまだ残念ながら、電灯ではなく、満月の光だけに浮かぶ桜の花の姿を見たことがない。その空間に立ち入り、直接この目で見るのは、ちょっと怖いような、そんな気もする。

----------
■『桜の木の下には』 梶井 基次郎(青空文庫)
■『桜の森の満開の下』 坂口安吾(青空文庫)
■『月光浴』 新井 満(著), 石川 賢治(写真)(小学館)
[ 2009/05/27 20:51 ] TB(0) | CM(0)

1週間の効用 

 ものごとに取り組もうと計画するとき、
「1日」きざみではなく、「1週間」をひと区切りとして計画すること。

 「1日」という時間では、なかなかものごとを成し遂げるのは難しい。
日々の仕事もあるだろうし、食事もしなければならないし、
睡眠も必要だし、ほっとひと息つくことも大切だ。
いろいろとやっているうちに、1日はあっという間に過ぎてしまう。

 「1週間」をひと区切りとして計画すれば、
例えば月曜から日曜まで、たっぷり7日間という時間の中から、
自分の《計画》に必要な時間を作り出すことができるだろう。
1日くらいサボったとしても大丈夫。週内で調節すれば済む。

 1年は、365日しか無い。
「今日もできなかった…」と後悔しているうちに、
あっという間に過ぎ去ってしまう。

 けれども1年は、52週もある。
何か1つくらいは、じっくりと取り組めることがあるだろう。

----------
■『一日一文 英知のことば』 木田 元 著(岩波書店)
[ 2009/05/26 17:42 ] TB(0) | CM(0)

日本人は「生きていない」のか? 

 「杞国に、人の天地崩墜し身寄る所亡きを憂えて、寝食を廃する者有り。」
 古代中国の杞の国にいた心配性な人物が、杞憂の故事の由来である。

 われわれ日本人も、この人物に劣らず、諸外国の人々と比べるとかなりの「心配症」らしい。

----------
■金融危機、日本人が最も悲観的=政治不信が色濃く−17カ国調査
 (1月29日15時1分配信 時事通信)
「金融危機の影響は相対的に小さいはずなのに、日本人が先行きに最も悲観的」−。日本リサーチセンター(東京)など17カ国の民間機関が各国で一斉に行った調査で、こんな結果が明らかになった。政府の対応への不満が色濃く出ており、同社は「国民性に加え、政治不信が背景にあるようだ」と分析している。
(以下略)
----------

 政治不信はともかく、日本人は全体として、ものごとに責任や義理を感じ、心配や不安を抱え込みやすい気質なのかも知れない。
 昨年、リーマンブラザーズ破綻のニュース映像には、本社ビルからそそくさと荷物を運び出す社員達の姿が流れていた。何となくその「さっぱりした」雰囲気は、旧山一証券が破綻した際に「社員は悪くありませんから!」と涙を流す社長の姿とはあまりにも対照的だった。(ちなみに日本に特有の、お偉方が揃いも揃ってカメラに向かって頭を下げるいわゆる「謝罪会見」は、何の意味があるのだろうかと筆者は個人的には疑問だが―。)

 以前、養老孟司があるエッセイの中で「日本人は生きていない」と書いていた。外国の知識人のエッセイには、そういう話がいろいろと出てくるらしい。(『考える人』2008年冬号「万物流転――人を見ること、生きること」)
 このエッセイのことは長い間、強く印象に残っていたのだが、最近別の雑誌で宮本亜門が同じような事を書いるのを読んで、びっくりした。ニューヨーカーが話すには、アジア人はみな同じ顔をしていて見分けがつかないが、日本人だけはすぐに分かるらしい。なぜなら、「日本人は目が死んでいるから」だというのだ。(『プレジデント』2009年1月12日号「全予測!「生き方、働き方」サバイバル75問」)
 この二人の話に共通なのは、いずれも日本人自身がそう言うのではなく、「外国人の目からみるとどうやらわれわれは『死んでいる』ように見えるらしい」と、他者の目を通じた日本人観を伝えているところだ。表情の作り方やものごとの感じ方はそれぞれ文化によっても異なるから、異文化から見れば、たまたま日本人は覇気が感じられにくいのかも知れない。けれども上のニュース記事に見た通り、今の日本人は心配性で悲観的であることが、調査によって曲がりなりにも裏付けられた。そして確かに、日本人自身もまた、他者に言われなくても、また自分からははっきりそう言わなくても、そのことにうすうす勘付いているはずだ。
 
 しかし、この「心配症」に関しては、それならそれでよいのではないかと思う。心配を心配のままで終わらせず、隅々まで配慮を行き届かすことのできる、「柔らかな感性」や「おもてなしの心」に繋げることができれば、日本人の大切なものが、日本人のエネルギーになり、そしてこれからも残ってゆくだろうからだ。
 「心配(シンパイ)」を「心配り(ココロクバリ)」に、「憂い(ウレイ)」を「優しさ(ヤサシサ)」に変えることができれば(若干、金八先生風?)、外国人の目に日本人がもう少し明るく映るようになることだろう。


■光速度「顔を読む」(2008年1月6日)
■『「甘え」の構造』 土居 健郎 著(弘文堂)
■『クオリア立国論』 茂木 健一郎 著(ウェッジ)
[ 2009/02/02 21:26 ] TB(0) | CM(0)

メガバンクの名前から考察する、脳と身体 

  「三菱UFJフィナンシャルグループ」
  「みずほフィナンシャルグループ」
  「三井住友フィナンシャルグループ」

 これらはれっきとした、日本3大メガバンクの名称である。ふと、これらが3つとも「み」ではじまる事実に気がついた。果たしてこれは偶然なのだろうか。
 「三菱」と「三井」は言わずもがなの旧財閥の名前である。「みずほ」は「日本」の美名「瑞穂」の読みであり、この言葉は立派に実った稲穂の美しさを表現しているという。三者とも「み」で始まり、さらに二文字目も「つ」「ず」と、音声としては共通している。同時に社名を公表したわけではないのだから、「競合他社と名前が似通ってしまうがそれでもやはりこの名前でいこう」という決断があったのだろうか。

 「ミ」「ミツ」「ミズ」といった音から連想されるものには、実、身、魅、水、みずみずしい、満つ、蜜、密…など何かしら新鮮で中身が充実しているさまをあらわすものが多い。資産を増やすという会社の目的を考えると、これらの音は金融機関の名称としてふさわしいようにも思えてくる。
 ここで日本語にとどまらず英語まで連想を拡げると、いよいよ面白くなってくる。じつは英語にも、何らかの量や充実度を表す言葉に、Mではじまる語が少なからずあるのだ。「many」「much」「maximum」「miniature」「micro-」「macro-」「money」「medium」「matter」「material」…などがすぐに思いつく。国際標準の計量単位「メートル」もMで始まる。

 さて、ここからはもうメガバンクの名称は関係ない。「人間が量感を表現する時はMの音がまず口をついて出てくるのではないか?」という、言葉の発生についての仮説を検証してみたい。

 日本語の「ない」と英語の「no」は、双方の否定語にNの音が共通している。
 「すごい」「すぐれた」「素晴らしい」「さすが」「才」「秀」「最」「祭」「祝」「special」「superior」「super」…通常より飛び抜けて良いことを表す語にはSの音が共通している。
 もちろん多くの言語の多くの言葉について検討すべきではある。けれども、あるシチュエーション、ある感情に支配された時に人間が発してしまう音には、その文化とは無関係な共通性があるのかも知れない。
 考えてみれば、人間が泣く時や笑う時の動作・表情は、その人の言葉や文化に依らず共通している。生まれたばかりの赤ん坊の泣き方や笑い方はどの国に行っても同じだろう。
 人間は、『悲しいから泣く』のではなく、『泣くから悲しい』のだ。
 ここで脳と身体を持ち出してもう少し詳しく表現するなら、『脳が「悲しい」と考えてから身体が「泣き出す」』のではなく、身体が「泣き出す」ことでその人の脳が「ああ自分は悲しい」と考える』のである。(※1)
 「思わず笑ってしまう」ことのほうが、「オカシイと考えてから笑いはじめる」ことよりも、きっと頻度は高いはずだ。
 わざと表情を「笑い顔」にしておくほうが、「不機嫌な顔」にしておくよりも、その人の脳は「楽しい」と感じてしまうという。これは脳科学において「エンボディメント(脳の身体化)」と呼ばれている。(※2)

 人間の感情は、思っている以上に身体と密接に(脳、というかわれわれの意識を抜きにして)つながっている。そう考えると、「人間が量感を表現する時はMの音がまず口をついて出てくるのではないか?」というさきほど設定した仮説は、あながち間違いではないのかも知れない。

 最後に少しだけ、またメガバンクの名称に戻ろう。「み」という音だけではなく、三菱と三井に共通している「3」という数字にも、日本人は格別の思い入れがあるらしい。「三」がつく名字や地名は「一」や「二」や「四」「五」などに比べて、圧倒的に多いと思う。1つや2つの時に比べて、何かが3つ揃うと、格段に安定感が増す感じがするし、そもそも「3大メガバンク」など、何かを比較する場合はトップ3を持ってきたりもする。3人寄れば文殊の知恵が出てきたり、早起きすれば3文の得があったりと、日本人は3という数字が大好きなのだ。(先頃はお笑いでも「3」が流行ったりもしたが)
 そういえばアメリカにも「ビッグ3」がある(今や危機的状況だが)。キリスト教の「三位一体」や、エジプトのピラミッドの三角形など、日本人だけではなく、人間にとっての「3」という数字の重要性も考えてみると、また面白くなってくる。が、今回はこの辺までにしておこうと思う。

 人間には国や文化に依らないある種の「先天的」な共通性が、意外に多いのかも知れない。それはきっと、脳や身体や、それらの関係性に、由来しているはずだ。

(※1)「サブリミナルマインド」下條信輔(中公新書)

(※2)NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」100回記念スペシャル
    脳を活用 プレッシャー克服法「苦しいときにも、あえて笑う
[ 2008/11/28 21:58 ] TB(0) | CM(0)
プロフィール

studio:lamplight


■このブログについて:
 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

■リンク、コメント、トラックバック:
 悪意のあるものを除き、基本的にオープンです。異論反論、叱咤激励をどうぞお願いいたします。

 ※このブログは、アフィリエイト・プログラムには参加しておりません。

◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

ブログ内検索