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「フォレスト・ガンプ」 

最初見た時はほとんど印象に残らなかった。
次に見た時は何て良い映画だろうと思った。
そして、今回再び見て、アメリカ大陸を黙々と走って往復し続ける主人公の姿がなぜか心に留まっている。
見るたびに、いろいろ印象が変わるのは主人公フォレストのあまりにも「プレーン」な存在のせいだろうか。
見る者のその時の状態によって変化する(全てのものが多かれ少なかれそうだとは思うが)、そういうものをいくつか傍らに置いておくと面白いかも知れない。
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[ 2007/02/20 22:20 ] TB(0) | CM(0)

「脳」整理法 

脳整理法


「脳」整理法』 茂木健一郎 (ちくま新書)

「世界知」と「生活知」
「科学」と「思想・哲学」
「確実性」と「確率性」
これら二極のノード(結節点)としての「偶有性」をはらんだ人間の意識についての
茂木氏にしてはソフトなエッセイ。

タイトルから想像される、「仕事術的」「現代人お助け」的な話ではないが、
「脳と意識」「自己と他者」「コミュニケーションと創造性」
といった扱いにくい問題にやわらかく触れられる。

不安や恐怖は「仮想できる脳」が可能にした高次の営みであることや、
根拠の無い自信を持つ意義など、ちょっぴり「お悩み解決」的な要素も。
[ 2007/02/11 21:42 ] TB(0) | CM(1)

「クオリア入門」 


クオリア入門


クオリア入門」茂木健一郎(ちくま文芸文庫)

私たちが世界を認識し、また考えることのすべては、
脳の中の電気的化学的信号に基づくニューロンの発火パターンによって行われている。
この紛れもない事実には、驚嘆せざるを得ない。
我々が「世界」だと認識している我々以外の全て、
そして我々の意識そのものまでもが、
我々の頭の中の、細胞ネットワークの活動の帰結に過ぎない。

般若心経という仏典に
「無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法」
(様々な感覚器は「無く」、そしてだから様々な感覚も「無い」)
という一節がある。

我々の「感覚」や「世界の認識」が外界のものを正確に写し取った
絶対的なものではないことを、この「無」の羅列とさえ言われる
経典は説いているのではないだろうか。

以前「マトリックス」という映画を見たときも、
「これは般若心経の世界だな」と思ったことがある。
我々が現実だと思っていた世界は、コンピューターが人間に見せている
夢(マトリックス)に過ぎないという発想は、
電気信号のネットワークという意味での
脳とコンピューターのアナロジーまで含めれば
般若心経のSF的解釈だと言えなくも無いのではないか。

これまで脳科学の本を読んでも、
「こういう感覚は脳のどの部位のどういうニューロンの発火で生じます」
という説明の羅列が多く、もちろんそれはそれで面白いのだけれど
腑に落ちない部分があった。
そのような研究の蓄積が
人間の意識のあり方まで踏み込んでゆけるとは思えなかったからだ。

しかし、本書を読んで、
最新の脳科学は我々の感覚やそれへの反応という「簡単な問題」にとどまらず、
いよいよ我々の「主観性」(バラが見える仕組み、ではなく、
ヒトがバラに注意を向けようとするその「志向性」の営み)
という「難しい問題」へ踏み込みつつあることが分かった。

いよいよ面白くなってきた。
[ 2007/02/11 21:15 ] TB(1) | CM(3)

アタマのなかにスキマをあける 

ここひと月ほど「自分が何となく気になっているモノゴト」をリストアップする作業を進めてきた。
「やるべきこと」「やりたいこと」「見たいもの」「欲しいもの」などなど、A4用紙6枚程に300項目ほど。
自分の頭の中の未整理の雑多なストックを紙の上に取り出した感じ。
ずいぶん頭の中の風通しが良くなった。
[ 2007/02/04 20:44 ] TB(0) | CM(1)

「ヘンリ・ライクロフトの私記」 

ヘンリライクロフト

ヘンリ・ライクロフトの私記」 ギッシング作(岩波文庫) 

田舎での生活の美しい自然描写に加え、
歴史や文学、社会情勢からイギリスのジャガイモ料理まで、
ありとあらゆる批評の中に作者ギッシングの理想と現実の触れ幅を読む。
「日曜日は重荷を負った人間が思いついた最上のもの」という一節が頭に焼き付いている。
「日曜日」は、たしかに、人類最高の発明品の一つであろう。
[ 2007/02/03 23:28 ] TB(0) | CM(0)

茂木健一郎のブログより 

【以下引用】
「人生」
最高の教養を身につけ、最も深い思想を抱け。ただし、作品として世に問う時以外は、黙って日々の行為をせよ。その行為の包絡線上に、その叡智がシミジミとにじみ出てくるようにせよ。そして、いざ思想や哲学の言葉を吐く時は、命懸けでそれに寄りかかれ。そして、さっと忘れちまえ。
うん、人生はきっとそうだ。
【引用終わり】

自分はどんな「作品」を以て
世に問うことができるだろうか
[ 2007/02/03 14:22 ] TB(2) | CM(0)
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■このブログについて:
 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

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◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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