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オペラ座の怪人と精神分析 

  「オペラ座の怪人」の歌詞には精神分析、特に初期のフロイトを髣髴とさせるものが多い。一つの試みとして、主題曲である「The Phantom Of The Opera」より、それと思われるものを抜き出してみたい。

  歌の冒頭部分では、主人公が怪人に手をひかれ地下へと下って行くうちに、自分の心の中に「何か」がいるのに気づき、それを「眠り」や「夢」というキーワードとともに告白する。
    
   In sleep he sang to me, in dreams he came . . .
   that voice which calls to me and speaks my name . . .
   And do I dream again?
   For now I find the Phantom of the Opera is there inside my mind . . .
   (眠りの中で私に歌いかけた、あの人
    夢見る私のその夢の世界に現れた人
    あの声が私を呼び寄せ私の名を囁く――
    これもまた夢かしら?
    今、私の目の前に オペラ座の亡霊がここに 私の心の中に――)

主人公はさらに、自分が「何か」を覆う外側のものに過ぎないのでは、と思案し始める。
   
   I am the mask you wear . . .
   (私は仮面、あなたを隠している仮面――)

それに対し怪人は、「その通り、お前は夢の中で私を知っているはずだ」と主人公に迫る。    
    In all your fantasies,you always knew
    that man and mystery . .
    (夢見た全ての空想の中でお前はいつも知っていた
    一人の男と、その秘密の事を――)

そして主人公は、さらに奥へ奥へと手をひかれてゆく・・・
    
    And in this labyrinth,where night is blind,
    the Phantom of the Opera is there/here
    inside your/my mind . . .
    (そして、闇の帳に閉ざされた この迷宮の夜
    オペラ座の亡霊はここに
    私の(お前の)心の中に――)

※http://www.geocities.jp/lot_no_666/より引用させていただきました。

  このミュージカル作品全体には他にも、「仮面」「父の影を追い続ける娘」「トラウマ」「鏡」「舞台と観客」「地上と地下」「夜と昼」「水上と水面下」というような、19世紀から20世紀初頭の、フロイトおよびその後の初期精神分析学のキーワードが満載だ。
  極めつけは、主人公の「クリスティーヌ(Christine)」という名前である。この主人公は、「無意識」の存在に気づき、怖がり、葛藤の中で混乱させられてしまう当時の西欧の人々(=Christian)を象徴しているのだろうか。オークションの場面から始まり、全体が「昔の出来事の回想」として語られているこの物語は、近年では心理学や精神医学の中核とはいえない存在となってしまった精神分析の姿とも、類似点が見出せる。
  作者の意図はこれとは違っていたかも知れない。しかし、「作品」と呼ばれるものはみんな、様々な視点から自分なりに観察してみると、その人にとってよりいっそう面白みが増す、そういうものだと思う。

-----Zoom In Zoom Out-----

■オペラ座の怪人
ジェラルド・バトラー、エミー・ロッサム 他 (2005/08/26)
メディアファクトリー

■「「意識」とは何だろうか」
下條 信輔 (1999/02)
講談社

(2008/01/23 加筆修正)
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[ 2007/07/31 23:32 ] TB(0) | CM(2)

Shop Channel 

ビジネスとは「ショップチャンネル」に似ている。
こちらのメリット、他との違い、コスト/パフォーマンスを立て続けに主張せよ。
ショップチャンネルのように半時間近く、アピールし続けられるかどうか。
できないときは再考せよ。
いつでも相手のアクセスを妨げず、そして、相手にチャンネルを変えられないようにせよ。

・・・ただし、こちらの主張の客観的根拠とデメリット、リスクも同時に示したい。
さもないとビジネスが、「ショップチャンネル」と同じになってしまう。

学問も、そして政治も選挙も、また同じかも知れない。

-----Zoom In Zoom Out-----

■「プロジェクト・ブック」
阿部 仁史、本江 正茂 他 (2005/03)
彰国社

■「マーケティング戦略策定シナリオ」
HRインスティテュート (2004/05)
かんき出版

[ 2007/07/31 22:01 ] TB(0) | CM(1)

究極のSF 

科学への期待とおそれ。人間の愚かさと非力への愛情。時間・空間・次元を飛び越えるストーリー設定。取扱い説明書不要の分かりやすい道具。
『ドラえもん』はまさに究極のSFだ。

-----Zoom In Zoom Out-----

■「ドラえもん」 (ロボット編)
藤子・F・不二雄
小学館
[ 2007/07/31 21:02 ] TB(0) | CM(0)

無限的有限 

 中学校に入学した時、最初の国語の授業は、学校の図書室でのオリエンテーションだった。
 多数の蔵書を前にして国語担当の先生はこんなことを言った。
 「これらの蔵書全てを皆さんが読み終わることは無いでしょう。知識とは既にそういうところまで来ています。」
 中学に入ったばかりで、これからどんな知識も可能性も手に入ると浮かれていた我々生徒は、鼻先にぶら下げていたある種の傲慢さにクギをさされたような気持ちだった。
 もちろんその図書室の蔵書の数は有限である。しかし我々は一つの学校の図書室の蔵書ですら、全てを読み切ることはできない。全てのものには手が届かない。それにもかかわらず、毎日毎日秒単位で印刷物が生まれている。この「知」の世界の圧倒的な「無限的有限性」に打ちのめされた。(ちなみに当時、インターネットというものは一般的ではなかったので、日常的な意味で「印刷物≒情報」であった。)
 この無限的有限性は図書室の中の話だけではもちろんない。世界には(もちろん日本に限っても、自分の住む町内ですら)今後も絶対行かない場所は必ず沢山あるだろう。
 
 光はものすごく速いように見えても無限に速いわけではなく、それにもかかわらず決して追いつくことは出来ない。宇宙の大きさも有限だが、小さな我々にとってはほとんど無限だ。 知識も世界も宇宙も、必ず別の場所、別の視点があるはずで、自分は全てを知らないし知り得ない。そういう知に対するときの構え、あるいは謙虚さのようなものを、あの図書室で、はじめて垣間見たような気がする。

-----Zoom In Zoom Out-----

■「「知」のソフトウェア」(講談社現代新書 (722))
立花 隆 (1984/01)
講談社

■「知られざる傑作―他五篇」
バルザック (1965/01)
岩波書店
[ 2007/07/31 13:52 ] TB(1) | CM(0)

飛鳥美人 

 飛鳥美人で有名な高松塚古墳の石室の壁画が、カビの繁殖をこれ以上進ませないために解体保存された。
 解体により、壁画を構成していた石のこれまで隠れていて見えなかった部分に、朱色の線が現れたという。この線は、現在でも大工達が日常的に使う「墨壺」と呼ばれる道具によって引かれた直線である。石を切り出す際あるいは石を組み上げる際に目印として引かれたのだろう。ちなみに、奈良・東大寺南大門の天井裏からは、往時、門の建設に関わった大工が置き残した墨壺が調査時に見つかったという。
 墨壺はつまり、少なくとも千数百年以上もの間、日本の建築の現場に欠かせないものであり、ほとんど姿を変えないまま、今でも使われている道具の一つだ。
 
 以前、古代ポンペイ遺跡の展覧会に行った際、2000年前の釣り針が現在のものと(材料などの違いはあれ)形が同じだった。釣り針の形は2000年間変わっていないという、当たり前のようなそれでいて感慨深い、不思議な感覚を覚えた。
 人間のファンダメンタルな活動に必要な道具には、こういったずっと姿を変えないものが多い。アノニマスと呼ばれるモノ達もこれに含まれるかも知れない。
 今回、高松塚古墳の石を解体する際、この作業のために開発された最新の機械よりも、「コロ」と呼ばれる円柱を並べた上に石を滑らせて運ぶ道具(ピラミッドの建設現場の想像図等を思い出していただければよい)が活躍したという。
 現代の様々な局面でも、こういった「変わらない」道具がヒントを与えてくれるだろうし、逆にこういったずっと続いているカタチをひっくり返す企みも重要だ。
 現代の石工を唸らせるほど隙間なく精巧に石室が組まれ、そのおかげで千数百年間、カビの繁殖から守られていた(残念なことに現代人の手によって30年そこそこでカビをひどく繁殖させてしまったが)飛鳥美人から、我々が学ぶことはまだまだあるに違いない。

-----Zoom In Zoom Out-----

NHKクローズアップ現代 「飛鳥美人はよみがえるか」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2007/0706-5.html#thu

■「はじまりの物語―デザインの視線」
松田 行正 (2007/04)
紀伊國屋書店

■みんなのいえ
唐沢寿明、田中邦衛 他 (2005/12/23)
東宝
[ 2007/07/30 20:40 ] TB(0) | CM(0)

切り口 

ある人がブログを書くとする。複数の記事を数個のカテゴリーに分類してゆく。そのカテゴリー分けの仕方は、その人の全体をある切り口で切り取った一つの「断面」であると思う。そしてその人の世界の切り取り方の一つでもあろう。ブログのカテゴリー分けは、その人のエピステーメーであり、微分方程式であり、レタス巻きであり、金太郎飴である。
ただし、有名な鯛焼き屋の鯛焼きのように、どこを割っても餡(その人の核となるような深部)が見えるわけではないだろう。餡の詰まっていない尻尾の先を少しだけ切り取って見せているだけかも知れない。
とにかく、多様な記事が多様な断面によって書かれることに驚く。断面は全体とはもちろん異なる。しかしその切り口の模様は想像以上に面白い。
金太郎飴ですら、切り取り面を変えることができれば、実に多様な断面が広がるのだ。

-----Zoom In Zoom Out-----

■「術語集―気になることば」(岩波新書)
中村 雄二郎 (1984/09)
岩波書店

■「二つの文化と科学革命」
C.P. スノー (1999/11)
みすず書房

■「プチ哲学」 (中公文庫)
佐藤 雅彦 (2004/03)
中央公論新社
[ 2007/07/29 22:33 ] TB(0) | CM(0)

「一応」の狭間 

総務省の年金記録確認中央第三者委員会は、年金納付記録の無い人が年金給付を求めてきた場合、「不合理ではなく一応確からしい」ことが分かれば給付を認めるという基準を示した。
「不合理ではなく一応確からしい」ということが「基準」となり得るのか、全国一律に客観的に判断するためには、時間もかかるだろうし混乱も予想される。
そもそも「不合理ではなく一応確からしい」というのは言葉でしかない。「非常に確からしい」場合は支給すればいいだろうし、「全く確からしくない」場合は支給しなくていいだろう。しかし「一応」というのは一体何なのか?
この絶対的混乱を免れ得ない『「一応」の狭間』はしかし、我々人間の認識の曖昧さを表現するのに便利で的確ではある。
われわれの身の回りの物理現象があるスケールの範囲内ではニュートン力学の法則に従うこと、目の前に見えている花の色は隣の人にも同じ色に見えていること、今日の私は昨日の私と同一人物であること、地球温暖化のおもな原因は人間の活動であること、廊下は右側を歩き走ってはいけませんということ…
とにかく人間があらゆるレベルで認識しているもの、「こうである」「こうしましょう」「こうしなさい」といわれていることは、「不合理ではなく一応確からしい」ことであり、ある範囲内においてある程度の合意が形成されているものである。けっして「唯一普遍の宇宙の真理」ではない。何事も「時と場合による」のである。
こういうスタンスで世の中を眺めてみると、何か一つのことに強く固執してしまったり、狂信的に自分しか、あるいはものごとの一面しか見えなくなってしまうことも少なくなるかも知れない。
もちろん、ある考えがその人にとって優しい真実となりその人が生きるエンジンとなり得ることは大いにある。
ただ、「不合理ではなく一応確からしい」という一見不便で非合理的な言葉は、世の中をバランスを取りながら眺めたい時、立ち止まって考えたい時には便利な言葉ともなり得る「第三者」の言葉なのである。

-----Zoom In Zoom Out-----

■「環境問題のウソ」
(ちくまプリマー新書)
池田 清彦

■「サブリミナル・マインド ―潜在的人間観のゆくえ」
(中央公論社)
下條 信輔
[ 2007/07/11 01:42 ] TB(1) | CM(0)

文字情報を貼り付ける 

文字情報以外(画像・音声など)の情報の検索性・選択性・一覧性をどのように確保するか。文字情報とはいかに便利な情報の羅列であることか。
現代生物学はゲノムという文字情報により、生物種を分類・検索可能にした。画像や音声の「客観性のない」分類・羅列は、その情報を「博物学の時代」に押し戻してしまう。(もちろん博物学が面白いことには変わりないが)
ニュートン然り、アインシュタイン然り、ワトソン&クリック然り。あるいは、キリスト然り、ソシュール然り、フロイト然り…その他大勢。
とにかく、これまで誰もが文字情報を貼り付けられなかったものに、文字情報を貼り付けることができた者が、新しいパラダイムを作る。
そしてその後しばらくの間の「真理」を作る。

-----Zoom In Zoom Out-----

■「お厚いのがお好き?」
お厚いのがお好き?スタッフ (2004/05/29)
扶桑社

■「 科学の大発見はなぜ生まれたか
―8歳の子供との対話で綴る科学の営み」
ヨセフ アガシ (2002/12)
講談社
[ 2007/07/02 20:20 ] TB(0) | CM(0)
プロフィール

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■このブログについて:
 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

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◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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