スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] トラックバック(-) | コメント(-)

アウトドア派 

 靴下を履き、その上に靴を履き、アスファルトの上を歩く。少しでも雨に降られようものなら、「とんでもない災難」が降りかかったかのように傘をさし足早に屋根のある場所へ逃げ込む…。かつて「天」や「地」と呼びおそれていた記憶のせいだろうか、こういった対象との《ありのままの接触》を極端に避け切り離しながら日常は流れていく。
 だから時どき、打ちっぱなしのコンクリートにその手が触れるだけでも、心がざわめくのだろう。
 砂浜を裸足で歩く。草の上に寝転ぶ。小雨の中を、ちょっとそこまで、傘をささずに少しだけぬれて行く。そういったささやかなことが、「とんでもない贅沢」に思われる。

-----Zoom In Zoom Out-----

■ロッタちゃんと赤いじてんしゃ
グレテ・ハヴネショルド (2000/11/23)
パイオニアLDC

■「地球の上に生きる」
深町 真理子、アリシア・ベイ=ローレル 他 (1972/01)
草思社
スポンサーサイト
[ 2007/09/29 00:26 ] TB(0) | CM(0)

「メルティング・ポイント」(美術展) 

 メルティングポイント(融点)とは、物質の液体相と固体相が共存し混ざり合った状態が許される温度のことで、たとえば水ならば「0℃」である。

 いきなり冒頭から、足を踏み入れることになるジム・ランビー(Jim Lambie)のインスタレーション空間。ここでは、鏡が貼りつけられグリッターが塗られた「椅子」や「絨毯」が、壁面に宙吊りにされ、展示室の「床そのもの」ですら金銀のカラーテープにギラギラと覆われている。普段私たちの下にもぐり、土と人とを切り分ける役割を負ったものたち。それらがここでは宙に浮き、鑑賞者とその周りの空間を自らに取り込もうとこちらへ迫ってくる。上と下、床面と壁面、見るものと見られるもの、そのそれぞれのかかわり方が次第にゆらいでくる。
 そこに立て掛けられた一本の「杖」ですら、色鮮やかな糸で幾重にもぐるぐる巻きにされている。先ほどのゆらぎはさらに増し目眩すら覚える。
 さらに歩を進めると、展示室の壁面や床面へほとんど溶け込んでしまった渋谷清道の《ミステリーサークル》シリーズ、見る者を空間のゆがみの中へ見事にいざなうエルネスト・ネト(Ernesto Neto)のインスタレーション作品《それは地平で起こるできごと、庭》が続く。
 「メルティング・ポイント」とはつまり、日常的には切り分け可能なものごとどうしのかかわり方(上と下・左と右・空間と時間・作品と展示室)の界面が、ゆらぎ、溶け合い混ざり合う状態が許された、或る″特異点″である。


-----Zoom In Zoom Out-----

メルティング・ポイント
http://www.operacity.jp/ag/exh85/index.html
(東京オペラシティーアートギャラリー)

■めまい ― コレクターズ・エディション
ジェームズ・スチュアート、キム・ノヴァク 他 (2002/08/01)
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

■「胡桃の中の世界」(新装新版)
澁澤 龍彦 (2007/01/06)
河出書房新
[ 2007/09/27 23:36 ] TB(1) | CM(0)

多機能の美しさ 

 数学者秋山仁氏が講師の、教育テレビ高校講座「基礎数学」。とある回のタイトルは「職人の知恵」だった。数学&職人という非常に面白く奥深い取り合わせである。
 番組ではまず《大工さんの知恵》として、「金尺」という、直角に曲がった定規が登場する。この道具を使えば、切り出された材木の「直径」「中心点」「円周の長さ」、そしてさらに、その材木から切り出される最大の角材の「一辺の長さ」までが正確に割り出すことができる。
 次に《酒屋さんの知恵》として「六合升」が登場。この六合升は「六合」だけではなく「一合」「二合」「三合」「四合」「五合」「六合」を、酒を樽から一度汲み上げるだけでそれぞれ計量できる。もちろん升には目盛りはついていない。升の形状そのものが、その見た目だけでは分からない多くの機能を与えているのだ。
 切り出されたばかりの材木や、樽に入った酒という、いわば《乱雑》な量から、たった一つの単純な道具を介すことで、商品化・規格化可能な量が正確に計り取られる。
 例えば「万能升問題」など現代数学の研究分野にも通じ、多機能でありながらそれがすべて単純なカタチに纏められ、あるいはむしろカタチの後ろに多機能が、そっとひそんでいる。そんな道具に「心地よい潔さ」を感じずにはいられない。

※なお、6合升の具体的な使い方については、「多機能の美しさ 続編」にて図を使って説明しているので、参照のこと。

-----Zoom In Zoom Out-----

NHK高校講座 数学基礎 第21回「職人の知恵」
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/suugakukiso/2006/study21/index1.html
番組の動画はこちらから

■「デザインにひそむ〈美しさ〉の法則」
木全 賢 (2006/12/16)
ソフトバンククリエイティブ
[ 2007/09/25 22:36 ] TB(1) | CM(0)

「理科離れ」について 

子供の「理科離れ」が叫ばれて久しいけれど、そもそも本当に子供は理科から離れているだろうか?
ニンテンドーのDSやWiiを使いこなし、携帯電話を与えられ、自動改札を当たり前のように通過する今の子供は、見方をかえれば以前では考えられないほど数多くの理科(科学技術)に囲まれているというのに?

今の子供の毎日の生活は、ほぼ100%と言っても差し支えないだろう割合で科学技術と密着している。もちろんこのように科学技術に依存した生活は、日本ではすでに数十年という単位で続いている。これまでも科学技術への依存度は高かっただろうが、しかし現在のその依存の〈仕方〉は、昔に比べると速度を上げながら猛烈に変化し続けている。
独楽回しやメンコを日常的に遊びに取り入れている子共は今では皆無だろうし、非常時に備えて学校の名札の裏に10円玉を常備している子供はだいぶ減ったと思う。駅の改札では駅員が切符にハサミをいれていたことも知らないかも知れない。
レコードに引かれた溝に針を走らせることで音楽を聞いていたこと、ポットの湯はポット上部を押すことで空気圧により注がれていたこと、テレビのチャンネルを変える時は重たいツマミをガチャガチャと回すためにテレビの近くまで行かなければならなかったこと…おそらくこれらの「昔話」を知っている子供は多くないだろう。ただし、昔そういう経験をしたことのある一定以上の年齢の人々ですら、そんなことは言われるまで忘れているだろうけれど。
幼い時から昆虫採集に明け暮れ、コイルと鉱石をつなげてラジオを作るような〈変わっている〉子供は今はそんなに多くはいない。たとえどこかの林間学校や実験教室で触れたことがあったとしても、それが今時の子にとっての「リアルな日常」に繋がっているとは思えない。そして、学校の理科の授業が、その「リアルな日常」とはだいぶかけ離れたものになってしまったのではないだろうか。
理科の学習の入り口とされているものごとは、昔であれば身体感覚の記憶とともに子供も日常的に備えていた。しかし、今の子供にとって、例えば学校で教わる「昆虫の足の数は6本」「乾電池の直列つなぎ/並列つなぎ」「星座の名前を覚える」といったような体温の伴わない無味無臭の事実は、ピンと来ない、暗記するだけの、どこか別の場所のお話、でしかないのかも知れない。
つまるところ、「理科離れ」とは、子供が理科から離れているのではなく、理科が子供から離れて(しかし本当は近くにいるのだ)、集積化・無線化・非接触化され、見えないところに隠れてしまった結果生じている問題なのではないだろうか。
子供の「リアル」に目線を合わせることが彼らの興味関心を持つ動機付けになるのだとしたら、昆虫の足の数や星座の名前を覚えることが果たして学びの入り口となり得るだろうか。それよりも、どうして燃えるゴミと燃えないゴミを分別するのか、とか、いろいろな商品についているバーコードとは何なのか、ムシキングのカードに印刷されているものと同じなのではないだろうか、とか、リモコンのボタンをテレビに向けて押すとどんな光が出てくるのだろうかとか、そういったことを入り口にするほうが、学びを動機付け、さらに生活密着型の話のほうが、子供が知っておくべき優先順位も高いのではないだろうか。
子供が毎日触れるものごと。それらが「なぜ」「どうして」作動し、その役割を果たしているか。難しい原理や仕組みまで教えようというわけではない。まずは子供のリアリティに目線を合わせ、「今まで普通に使っていたけどそういえばたしかに不思議だね」と疑問を持つ。身体感覚がほとんど伴わない技術ゆえに持たなくともよさそうな疑問。そこから始める試みがあってもいいのかも知れない。
今の、そしてこれから生まれくる子供は、Wiiやインターネットや薄型テレビやiPodやPASMOや、さらには環境問題等々…に、生まれた時から取り囲まれているのだから。

-----Zoom In Zoom Out-----

■「ポケットの中の野生―ポケモンと子ども」(新潮文庫)
中沢 新一 (2004/01)
新潮社

■「大人のアタマで考えない。―コドモゴコロの仕事術」
夏川 賀央 (2006/07)
ビジネス教育出版社
[ 2007/09/15 00:08 ] TB(0) | CM(0)

「津上みゆき展」 

たとえば、宇宙が始まる兆しのような、夕焼けではなく朝焼けのような、あるいは心臓の鼓動の最初の1回目がうたれるほんの少し前のような、何かの「はじまり」のその一歩手前――。それが今回発表された作品群に対する印象だった。
そこにはすでに、これから始まるものごとへの力が内包されつつも、それでいてまだ始まっていない、そんな「始まりの始まり」をじっと待つほんの一瞬の静寂が、見事に画面上に定着されていた。
そこでもう一度、この展覧会のテーマを思い出してみる。
「View-24seasons "Spring" No.01-06」
そこではまさに、24に区切られ、順に番号が名付けられたひとつの物語が、はじまろうとしていた。

-----Zoom In Zoom Out-----

「津上みゆき展 24seasons-つづるけしき、こころつづく」
2008年4月20日まで
スパイラルガーデン

「津上みゆき展 View-24seasons "Spring" No.01-06」
2007年9月20日まで
第一生命南ギャラリー

■ベートーヴェン:交響曲第6番
ユニバーサルクラシック
カラヤン(ヘルベルト・フォン)
[ 2007/09/15 00:08 ] TB(0) | CM(0)

蝉のぬけがら 

大量の車がものすごいスピードで通り過ぎる甲州街道。その脇のささやかな植え込みで、時折しゃがみながら、蝉のぬけがらを集めている少年を見かけた。すでにたくさんのぬけがらを集めたらしく、それらを大事そうに紙の上に載せて運びながら、懸命に植え込みの下を覗きこんでいた。
こんな場所でも、長いあいだ土中に潜っていた蝉は羽化する。そして、少年はそこに息づく昆虫の生態に触れる。彼は都市の真っ只中で、その手に余るほどの自然の息吹を手に入れたのだ。
しかし、その場所から少し離れたホームセンターに行き198円を出せば立派なカブトムシを買うことはできるし、田舎の雑木林に行くことが出来ればもっと多くの種類の生き物を手に入れられるだろう。
もっと小遣いがあれば…もっと自然の多い場所へ行ければ…。彼がそう思っているか否かは分からないが、そんなものとは関係なく、その時の彼の目は〈ひたむき〉とさえ表現できるものだった。
もっと○○があれば…××へ行ければ…△△が欲しい…。「持たざる者」はこのように逡巡しながら「持たない」状態から出来るだけ「持っている」状態へ遷移しようと努める。そうすることが、ともすれば自らをどこかの〈高み〉へと引っ張りあげるかのような焦燥感すら伴いながら。
もちろん、そのような意欲や意志や、時には焦りが、正しい意味で人間を突き動かすエネルギーとなっている。少なくとも資本主義社会はそのエネルギーによって成り立っている。
しかし、「…たら」「…れば」を唱えながら未来への欲望と過去への後悔を口にする前に、自分の「いま、ここ」、自分の手の届く範囲に何があるか、何ができるか、を時には想いたい。
「『青い鳥』でもあるまいし」と、いつもなら私は〈自分の近くにある幸せ〉につい、わかったようなふりをするだろう。けれど、車・蝉・少年という三角形の構図を目にしたその時は確かに、「いま、ここ」という言葉が、私の中に鋭く響いた。


-----Zoom In Zoom Out-----

街中にある電波を捕まえて、その飛び回る様子を体験するワークショップ
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2007/Kidsprogram2007/workshop_j.html

NHK クローズアップ現代 「身近な昆虫に異変あり」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2007/0706-5.html#tue

■「欲望解剖」
茂木 健一郎、田中 洋 他
幻冬舎
[ 2007/09/11 20:26 ] TB(0) | CM(0)
プロフィール

studio:lamplight


■このブログについて:
 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

■リンク、コメント、トラックバック:
 悪意のあるものを除き、基本的にオープンです。異論反論、叱咤激励をどうぞお願いいたします。

 ※このブログは、アフィリエイト・プログラムには参加しておりません。

◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

ブログ内検索


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。