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リメイク・復刻・トリビュート ―「焼き直し」のドグマ 

 映画は次々とリメイクされ、アニメやゲームは次々と復刻され、トリビュートと称された音楽アルバムが大量生産される。
 傑作はシリーズ化され(○○?や××4.0など)、素人が書いた携帯小説がベストセラーとなり、そしてまた安易な映画化がくりかえされる。
 挙げ句の果てに、売れなかった食材は賞味期限を貼り替えられ再び店頭に並べられる。

 現代にはびこるこの「焼き直しのドグマ」から、ひとまず一歩離れたい。
 それはそれで素晴らしい作品であることもあるだろう。「別の作品として生まれ変わった」と言えば聞こえは良い。けれど少なくとも、「創り出す」力量が低下していること、その事実は確認したい。

 そしてそんな「焼き直しのドグマ」とは無関係に生み出される、あたらしいものたちの、みずみずしさ、クリエイティブのエネルギーの高さに、もっと大きな拍手と称賛を贈りたいと思う。
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[ 2007/12/12 20:18 ] TB(0) | CM(2)

現場の肌感覚と言葉の力 

 フォトジャーナリストの桃井和馬さんの話を聞く。
 こういう人の言葉が持つ力が強いのは、例えば写真家ならその現場に必ずいたという事実があるからだろう。その現場に居合わせ、レンズをその方向へ向け、その瞬間シャッターを切った、という事実は圧倒的に強い。
 スタジオにいる滝川クリステルの言葉よりも、現場にいる記者の言葉のほうが、ぼやけてはいるが重みがあるのは、その記者に「今ここにいる」という絶対的な強さがあるからだ。 手や足や目や肌でじかに触れている感覚に、アタマは勝てない。肌感覚の積み重ねの無い思考は、単なる思考、単なる言葉でしかない。
 ある言葉が、現場にいる(いた)人の言葉なのか、伝え聞いたものなのか、単なる想像の産物なのか、細心の注意を払うべきだ。そして、それが現場にいる(いた)人の言葉であるなら、傾聴に値する何かが見つかるかも知れない。当て推量から飛び出す"評論"よりもよっぽど内容に重みがある。
 我々は一人一人、殊に自分の生に限って言えば常に「現場」にいる。その人の生の「現場」は誰よりもその人自身が肌で感じている。サラリーマンの現場、主婦の現場、子育ての現場、介護の現場、田舎暮らしの現場、都会暮らしの現場、海外旅行の現場、寝正月の現場…。平凡でつまらなく思えるものだったとしても、その人の現場に居合わせるのはその人自身だ。つたないものであったとしても、自分の生という「現場」からきちんと言葉を発することができれば、それは驚くほどの重みを持って、遠くまで響くに違いない。
 映像が言葉より力を持っているように感じるのは、情報量が多いからではない。「現場」をより忠実に保存できるように見えるからに過ぎない。現場からきちんと発せられたものであるならば、ひとつの言葉も、一枚の写真も、同じようにとてつもない質量を持つ。
 一人の写真家の話を聞きながら、今日はそんなことを考えた。

-----Zoom In Zoom Out-----

桃井和馬氏のサイトへ

■「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」
アンリ・カルティエ=ブレッソン、エリオット・アーウィット 他

■「地震イツモノート
―阪神・淡路大震災の被災者167人にきいたキモチの防災マニュアル」
地震イツモプロジェクト、渥美 公秀 他
[ 2007/12/10 21:51 ] TB(1) | CM(0)

日本の教育と牛乳の普及 

 《OECD国際学力調査結果―日本の高校生 知識を使って議論したり、生活に結びつける力が不足》

 《骨密度調査―若い女性の骨密度低い》

 この手の調査で出てくる結果は「事実」なのかも知れないが、そこにどんなバイアスがかかり、どのように結論が導出されたのかをきちんと見なければならない。意図的にはバイアスをかけていなくても、調査の時期やサンプルの集め方、質問の仕方によって結果はいくらでも変わってくる。
 ある結果、パーセンテージが出たからといって、決してそれだけで右往左往してはならない。短絡的な解決策に結びつけてはならない。

 教育の問題は、単に授業時間を増やすだけでは何も解決しないだろう。文化や国民性が影響するもっと深い考察が必要な話だ。その場しのぎの短絡的解決を追いかけてきた結果が「ゆとり教育」をはじめとする昨今の混乱なのだ。そもそもOECDが求める学力像はそれほど両手離しに良いものなのだろうか。学力を国別に順位づけて公表するやり方が果たして「適切」なのだろうか。
 
 骨密度の調査にはもちろん「牛乳普及協会」が一枚噛んでいる。当然そこからは牛乳をもっと普及させるような結論しか出てこない。
 
 どうせ何かを調査するのであれば、もう少し冷静で深い議論につながる調査をしてほしい。そうでないならば、それは何かを誰かに無理矢理「説得」しようとする意図だけを持った、使い勝手の悪い道具にしか成り得ない。
[ 2007/12/05 19:42 ] TB(0) | CM(0)
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■このブログについて:
 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

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◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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