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垂直立ち上げーー人が「変わる」時 

現在読み進めている、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(全8巻)。幕末の風雲の時代を闊歩する竜馬の「息吹き」のようなものを感じることができる痛快な小説である。
基本的にはとても読みやすく、特に挫折することもなく第8巻まで読み進めてきたのだか、読み進めているときに少し違和感を感じた部分があった。
それはまだこの長編小説の中の序盤の方、竜馬が北辰一刀流の目録を授与されて土佐に戻って来た頃のことだ。
それまでの土佐の中での竜馬に比べて竜馬を取り巻くまわりの人間の竜馬に対する態度がそれまでとは「がらっ」とかわってしまい、急に周りからの信頼感が増し、竜馬自身の自信も一気に増したように思われた。その後海援隊をつくり、諸国の志士と共謀して薩長同盟などさまざまな大仕事をなす人望厚い竜馬が、突如あらわれる。その唐突さに違和感を感じたのである。
実はこの違和感は、大河ドラマ「龍馬伝」を見たときも同じものを感じた。やはり、江戸から土佐に戻って来たころ、急に周りから「龍馬がおらんと事が進まん」と信頼されていくのである。
小説でも、TVドラマでも感じたこの違和感は、龍馬自身の自信、ものの考え方そして人望が、徐々にではなく急速に、その前後が不連続な変化を示していることからくる。
人が本当に変わるときは、ひょっとするとこのような、「垂直立ち上げ」が起きるのかも知れない。
歴史を見ても、ある人物が歴史に登場する時は突如「躍り出る」ことがあるような気がする。
人が変わる時、そしてその人物が歴史に登場するような時には、大きく不連続なブレイクスルー、急速な垂直立ち上げが起きる。そして、龍馬には確かにそれが起きたのだろう。
ここまで書いてみて、ふと、「知のクーデタ」の話を思い出した。たとえばフランスの詩人、ポール・ヴァレリーの青年期に起きた「ジェノバの夜」が有名かも知れない。とにかく、「知のクーデタ」と言われるくらいに、人間の知の内部変化がある時を境にガラリと変わってしまうことが、やはりあるようだ。
人が劇的に変わる、そのポテンシャルは、誰もがもっているものなのだろうか。歳を取るとそれは失われてしまうものなのだろうか。それは分からないが、人は必ず変わることができる。今はそう信じたい。
[ 2012/04/25 04:23 ] TB(0) | CM(0)
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 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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