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テレビの食べる人 

 人間の味覚は5つのパラメータで成り立っている。これらのパラメータを調整するだけで、人間が感じることのできるあらゆる味覚を再現できるという。牛肉のミンチと言われているものが万が一そうではなかったとしても、案外分からないものなのだ。
 考えてみれば、視覚も3つのパラメータで成り立っているし(光の三原色)、聴覚のパラメータは1つだ。嗅覚のように無限の多様性を持つものも、ある有限個の遺伝子の組み合わせから成り立っている。(感覚器ではないが、免疫の機構も同様にして多様性を作り出している。)人間の感覚器はそれほど多くのパラメータは持ちあわせていない。
 もちろん視覚や聴覚は、その時間的変化や発生源の立体的定位など複雑なことをやっているし、味覚にしたところで、食べたものの温度や粘度、歯触りなど(これらは触覚にあたるものの)、複雑で多岐にわたる感覚を総動員している。いわば感覚と記憶を総動員しそれを総合することで、あるものごとに関する多面的な情報を得ているのだ。

 テレビを見ていると、とにかくたくさんの、食べ物やそれを食べる人々が出てくる。1日に何度も。テレビはまず、その食べ物を映像と音で伝え、そして一人の人間にカメラが向けられる。多くの場合、その人は自分にカメラが向けられたことを確認した後に、口の中へ食べ物を運ぶ。
 「その人」はどこか空中の一点を見つめるように曖昧な視線を投げながらモグモグ…。この1秒程度の沈黙の間、この人は感覚の大部分を口の中の食べ物へと集中しているのだろう。
 この沈黙の1秒が気になる。テレビを見る人も、この1秒の沈黙の間の複雑で豊穣な感覚をともに味わっているのではないだろうか。この時、他人の行動を観察し自分の行動の規範として認識する「ミラーニューロン」という神経細胞が脳内で活動していいるに違いない。なぜなら、その1秒の後には、その人は「美味しい」やあるいはそれに類する(歯ざわりは…とか、肉汁が…とか)、定型化・パターン化された、ほとんど予測可能な単純な情報しか発しないからである。それにもかかわらず音と画像しか伝えていないテレビで、食べ物の情報は流れ続けているのだ。一日に何度も。グルメ番組はつまり、視聴者の脳の積極的参加によって成り立っているものであると言える。

-----Zoom In Zoom Out-----

■「甘露なごほうび」
渡辺 満里奈
マガジンハウス

-嗅覚の多様性についての記事
http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/molecular-recognition/touhara/essay5.html
(ところで、ノーベル賞受賞者が「Buck&Axcel」とは、コンビ名として出来過ぎていると思う)
[ 2007/05/02 21:08 ] TB(0) | CM(0)
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 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

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◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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