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蝉のぬけがら 

大量の車がものすごいスピードで通り過ぎる甲州街道。その脇のささやかな植え込みで、時折しゃがみながら、蝉のぬけがらを集めている少年を見かけた。すでにたくさんのぬけがらを集めたらしく、それらを大事そうに紙の上に載せて運びながら、懸命に植え込みの下を覗きこんでいた。
こんな場所でも、長いあいだ土中に潜っていた蝉は羽化する。そして、少年はそこに息づく昆虫の生態に触れる。彼は都市の真っ只中で、その手に余るほどの自然の息吹を手に入れたのだ。
しかし、その場所から少し離れたホームセンターに行き198円を出せば立派なカブトムシを買うことはできるし、田舎の雑木林に行くことが出来ればもっと多くの種類の生き物を手に入れられるだろう。
もっと小遣いがあれば…もっと自然の多い場所へ行ければ…。彼がそう思っているか否かは分からないが、そんなものとは関係なく、その時の彼の目は〈ひたむき〉とさえ表現できるものだった。
もっと○○があれば…××へ行ければ…△△が欲しい…。「持たざる者」はこのように逡巡しながら「持たない」状態から出来るだけ「持っている」状態へ遷移しようと努める。そうすることが、ともすれば自らをどこかの〈高み〉へと引っ張りあげるかのような焦燥感すら伴いながら。
もちろん、そのような意欲や意志や、時には焦りが、正しい意味で人間を突き動かすエネルギーとなっている。少なくとも資本主義社会はそのエネルギーによって成り立っている。
しかし、「…たら」「…れば」を唱えながら未来への欲望と過去への後悔を口にする前に、自分の「いま、ここ」、自分の手の届く範囲に何があるか、何ができるか、を時には想いたい。
「『青い鳥』でもあるまいし」と、いつもなら私は〈自分の近くにある幸せ〉につい、わかったようなふりをするだろう。けれど、車・蝉・少年という三角形の構図を目にしたその時は確かに、「いま、ここ」という言葉が、私の中に鋭く響いた。


-----Zoom In Zoom Out-----

街中にある電波を捕まえて、その飛び回る様子を体験するワークショップ
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2007/Kidsprogram2007/workshop_j.html

NHK クローズアップ現代 「身近な昆虫に異変あり」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2007/0706-5.html#tue

■「欲望解剖」
茂木 健一郎、田中 洋 他
幻冬舎
[ 2007/09/11 20:26 ] TB(0) | CM(0)
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 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

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◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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