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タイムマシン 

 人間は自分のいる空間内で、前後左右上下へ移動することができる。(これにも多少の困難が伴なうがそれについては拙ブログこちらを参照。)しかし時間を行ったり来たり自由に移動することはどうやら諦めたほうがよさそうだ。
 人がタイムマシンを想像するとき、それが何らかの「乗り物」であることが多い。人がそれに乗りこんで、過去や未来へ行き来するイメージだ。しかしおそらくこれから先も、そういった類のマシンが作られたり、それに人間が乗り込んだりする日は来ないと思う。
 時間は決してわれわれを「今」以外の過去や未来へ自由に移動させてはくれない。われわれは「今」の一点に縛りつられたままだ。けれどもそういった時間に対する、健気な抵抗の例を、いくつか挙げることはできる。時間軸上の行き来は無理でも、過去に起こったことをできるだけ素早く正確に保存し「今」に持って来る、そういう装置はすでにわれわれの手もとにある。
 はたして何万画素で何時間分の「過去」を残せるか、これがカメラという道具を選ぶ際の重要な指標である。過去をどの程度正確鮮明に「今に持って来ることが可能か」に、われわれはこだわる。電話もラジオもテレビの生中継も、CDもDVDも、ほんの少し前に遠くで起きた出来事(の一断面)を、「今」の「ここ」へと運ぶ装置だ。今秋から本格運用された緊急地震速報は地震を予知するものではなく、これもやはり、すでに遠くで起きてしまった地震をできるだけ早く知る工夫である。
 もちろんこれらの装置を手に入れることのできる事実は驚嘆すべきものだ。けれど、どんなに記録媒体・伝達媒体が発達しようと、われわれは出来事を過去形でしか捉えることはできない。起きるだろう事を予想する事はできても(この能力もまた人間の驚くべき能力の一つだが)、やはりそれは「出来事そのもの」を捉え認識する事とは異なる。
 「今」に縛りつけられたわれわれは、こうした「乗り物ではない」タイムマシンを日々磨き上げながら、遠くで開く打ち上げ花火を見るように、過去についてだけを知る。
 
「われわれは後ろ向きに未来へ入ってゆく」――ポール・ヴァレリー

-----Zoom In Zoom Out-----

■「時間はどこで生まれるのか」
橋元 淳一郎 (2006/12)
集英社

■「ラン・ローラ・ラン」
フランカ・ポテンテ、モーリッツ・ブライプトロイ 他
ポニーキャニオン

■「地震イツモノート
―阪神・淡路大震災の被災者167人にきいたキモチの防災マニュアル」
地震イツモプロジェクト、渥美 公秀 他
木楽舎
[ 2007/10/04 23:32 ] TB(0) | CM(0)
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studio:lamplight


■このブログについて:
 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

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◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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