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ポーの『ユリイカ』とヴァレリーの『ポーの『ユリイカ』について』について 

――それでは、ただちに、空の空なる言葉、「無限(インフィニティ)」から始めましょう。この言葉は、「神」とか「霊」とか、その他いかなる国語にも同意味の言葉が存在する諸表現と同じく、けっして一つの観念の表現ではなくて、観念へのある努力の表現なのであります。
  エドガー・アラン・ポー 『ユリイカ』

――法則は世界をもはや支配しているのではなく、人間の精神の弱点と似たものとなっており、わたしたちはかつてのようにその簡潔さに信頼を寄せられなくなっている。執拗なとげのように、割り切れない小数がいつも残って、わたしたちは不安と不徹底感を抱かせられるのだ。
  ポール・ヴァレリー 『ポーの『ユリイカ』について』

 宇宙の果てやそのはじまり、そもそも宇宙の全体とは何物か。ある時は神話という手法で、またある時は科学という手法で、これまで多くの人間が思いをめぐらせてきた。
 「私」が宇宙の全体について考えるということは、とりもなおさず宇宙の一部がまさに今その全体について思考しているということである。
 マクロからミクロまで、果てしない大きさと果てしない小ささに挟まれた、そして、果てしない過去と果てしない未来に挟まれた、それでいて時空の中に確かにある大きさを占めている「私」という存在がここに有る。
 こういったことをあれこれ考える「私の中心」はこの「私」のどこにあるのだろうか?「私」の外部と内部の境界面には何が漂っているのか?
 無について、無限について、想像力について、意味について、目的について、時間と空間について、科学と人間について。
 アインシュタイン前と後に書かれた(そしてまたアインシュタイン前後によってその価値が変わることはなかっただろう)このふたつの試論を、到達点とし、そして出発点としたい。

-----Zoom In Zoom Out-----

■「ヴァレリー・セレクション (上)」
平凡社ライブラリー (528)
東 宏治、松田 浩則 他

■EAMES FILMS:チャールズ&レイ・イームズの映像世界
チャールズ&レイ・イームズ

■「銀河鉄道の夜」
少年少女日本文学館 (10)
宮沢 賢治
[ 2008/01/04 23:36 ] TB(0) | CM(1)
 我々のこの宇宙の他にも、複数の宇宙が存在するという仮説、いわゆるマルチバースの概念の登場まで随分時間がかかったが、それはひとつに、「ユニバース」という名前にも原因があったのだろうか。
[ 2008/01/15 20:35 ] [ 編集 ]
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■このブログについて:
 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

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◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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