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可能的未来を紡ぐ 

「私は神がサイコロ遊びをするとは到底思えないのです。」
     ――アルベルト・アインシュタイン

 この宇宙に我々人間のような複雑なものが存在するためには、様々な物理的条件が「ちょうどよい」範囲に収まっていることが重要なのだという。
 特に以下に挙げる(1)から(6)の6つの値は、それが大き過ぎても小さ過ぎても宇宙が今の状態を保つことが難しく、あたかも神の手によって「ちょうどよく」調節されているように見えるために、「6つの魔法数」と呼ばれる。
 
 【6つの魔法数】
 (1)核力と電磁力の強さの比
 (2)電磁力と重力の強さの比
 (3)宇宙の密度
 (4)宇宙定数
 (5)宇宙マイクロ背景放射
 (6)空間の次元
 
 この「ちょうどよい」範囲のことを欧米では「ゴルディロックス・ゾーン」と呼ぶ。ゴルディロックス(Goldilocks)とは、或る童話に登場する金髪の少女の名前らしい。
 
 こういう話を聞くと、真っ先に思い浮かぶのが「ドレイク方程式」である。この式は、この銀河系に高度な文明を持つ知的生命体が棲む星をいくつ見つけることができるかを算出するためのものだ。
 
  【ドレイク方程式】
    N = R* × fp × ne × fl × fi × fc × L
  ここで、
  N  :我々の銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数
  R* :我々の銀河系で恒星が形成される速さ
  fp  :惑星系を有する恒星の割合
  ne :1つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数
  fl  :上記の惑星で生命が実際に発生する割合
  fi  :発生した生命が知的生命体にまで進化する割合
  fc  :その知的生命体が星間通信を行う割合
  L  :星間通信を行うような文明の推定存続期間

 これら「6つの魔法数」や「ドレイク方程式」から少なくとも言えることは、我々人間が今ここに存在できる確率は想像以上に低い、ということだ。
 これまでの宇宙の歴史で何かが少しでも異なっていたら、「今」の状況は全く別のものになっていただろう。同じことは人間の短い歴史にも当てはまる。歴史に「もしも」が禁物なのは、その「もしも」を考えてしまうと歴史そのものがあまりにも変わってしまい過ぎるからだ。宇宙の歴史も人間の歴史も、ごく小さなパラメーターの変化が結果に多大な影響を与える、れっきとした複雑系に他ならない。

 我々の存在は、様々な時空間的関係のごく微妙なバランスの上に成り立っている。しかしそれだからこそ、この瞬間が、どのような未来にも繋がり得る。
 無限に存在する可能的未来から、我々の一挙手一投足によって、この瞬間にも、たった1通りの「今」が紡ぎ出されている。あたかも、糸車によって綿花の塊から一筋の糸が紡ぎ出されるように。
 きっとペシミストは、紡ぎ出された後の一筋の糸を見て、定められた運命の不自由さを嘆くのかも知れない。そしてそれとは逆にオプティミストは、紡ぎ出される前の綿花の塊を見て、そこに無限に広がる可能的未来のその自由さを喜ぶのだろう。

-----Zoom In & Zoom Out-----

■「もしも月が無かったら?」「宇宙人は本当にいるのか?」
情熱大陸 小久保英一郎(理論天文学者)

■自宅に居ながら、地球外知的生命体の探査(SETI)を行なう科学実験に参加
SETI@home

■「もしももしもあなたが猫だったら?
   ―「思考実験」が判断力をみがく」
(中公新書)
竹内 薫

■「地球生命圏―ガイアの科学」
星川 淳

■「考える人」 2008年 02月号
連載「偶有性の自然誌」
第一回 『「わからない」からはじまる』 茂木健一郎
(pp.138-145)
[ 2008/04/05 00:27 ] TB(0) | CM(0)
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 「科学と芸術、そして人間。」をテーマに、さまざまなものごとについて考えるブログです。特定の領域というよりも、領域と領域どうしの境界面のそのたたずまいに焦点を当て、張り過ぎず緩め過ぎず可能な限りバランスのとれた考察を深めることをめざしています。

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◆管理者プロフィール:
 1976年生まれ。東京都在住。自称、逍遙学派。歩きながら考えることで何かが見えてこないかと、今日も歩きながら考えている。このブログも文章のほとんどを、歩きながら携帯電話にて入力し、推敲を重ねている。

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